今年も鹿沼宿に、賑やかな日がやってきました。ここがこんなに人で溢れかえるのは、お正月か藪入り、お祭りくらいのものです。そう、今日は4月13日。夕刻迫るころに響き渡る「下あに、下あにおろう」の先触れ。声の後に続くのは、50人ほどの烏帽子、狩衣姿の一団、御幣長持を中央に据えた輿や駕篭、長持と続く日光例幣使の大行列です。権威は高くとも、所詮は下級の公家と半分は俄家来。「相談せんか、相談」と言いがかりをつけてはゆすり、「ご利益あらたか」などと供米を押し付け、古着や漬物石まで売りつける、例年日光例幣使街道を騒がせる少々はた迷惑な御一行なのです。彼らは例年、4月17日の家康公の命日に合わせ京都からやってきます。その道中、鹿沼にも1泊し、御成橋を渡って、日光東照宮に幣帛を奉納するために社参するのです。
江戸時代、伊勢の例幣使とともに222回も実施された日光例幣使。鹿沼には彼らが通った日光例幣使街道沿いにある宿場町です。交通の要所であり、近郷からの木材や農産品で潤う中継地。そして日光東照宮を支えている杉材やその木材加工も、この地にて行われていました。鹿沼は古の時代から、木材加工や木工業の盛んな土地であったのです。
時は移ろい、戦後隆盛を極めた鹿沼の木材・木工業。その後、ライフスタイルの変化や大資本による大量生産により鹿沼の木工業会全体が揺さぶられ、業者数・従業者ともにその規模は小さくなりました。しかし、その伝統や培った技は、確かに残り生きています。私たちはデザイナーの皆さんとともに、杉を中心とした木材の温かみ、手触り、環境負荷の小ささなどの有用性を、技術とデザインを駆使してご提案してまいります。
鹿沼チームリーダー
白石 修務